国境という境い(さかい)は、ただの飾り。僕らはみんな同じ人間

僕は大学の学生の半分が留学生という立命館アジア太平洋大学(以後、略称のAPUと言います)で大学生時代を過ごした。

僕は中学生くらいの頃は、海外だと、グローバルなんとかだの、国際なんとかだのにはまったく興味がなかった人間だったけども、ご縁あって、国際なんとかの道に高校から進むようになった。


(なぜ国際何とかの道を選ぶようになったかは、別でまた投稿しますね!ただ、一番のきっかけは?と聞かれたなら、「2個のいちごです!」と回答します^^ 意味不明ですよね、、、笑)

APUがなぜ半分の留学生にしたかたの理由にはいろいろな理由があるけれども、いまでも当時の学長のお話で忘れていない「大学生活を通じてどんな人間になってほしいか」の話しがある。

それは、地球上のどこかで、地震などの大災害があったときに、「あー、インドネシアも大変だねー」とか、「中国で地震が起こったんだねー」とか、「フランスの地下鉄で大爆発が起こった事故があったんだねー」とか、自分とは関係ない、と思う人間ではなく、自分事のように感じられる人間になって欲しい、というお話しだった。

で、なぜ、自分に関係している出来事のように感じられるか、というと、それは、同じ場所で学び、生活してきた友達の出身地であることも多いから…

日本で地震や津波が起こった時は、逆に海外の友達から「お前、大丈夫だったか? 最近、SNSの更新もあまりないから、元気にしてるかな、って思ってとりあえずメッセージしてみた!」とメッセージが来る

グローバル大学の学生の価値観が大好きになった瞬間

こんな環境の中で、学生は日常を過ごしているから、国境という境いへの意識は、通常よりもかなり感覚的に薄いと思う。そんな中、大学2年生の時、「うわーーー、この大学を選んで良かったな!」と思える瞬間があった。

それは、テスト期間に入っていたときの話。

たしか、何かしたらの講義のプレゼンテーションの内容をお決まりのジョイフルに日本人のみの生徒のチームで集まって話していた時のこと。

僕が何かの流れで、「黒人って、真っ黒だから、みんな同じ顔に見えるよね!」と言った瞬間に、6,7人いた場が一瞬凍りついて、ある女子生徒がぼそっと言った。



「え!? マジで言っている? ありえなくない? 全然違うし!」



僕は、そんな返答が来るとは、当時まったく想定していなかった。
というのも、地元の友達とこのような話題になったらば、「だよねー。黒いからわかんないよねー」というオチになった過去があったので、話しの意図などはなく、ちょっとした場の盛り上がりポイントを作ろうと思っての発言だった気がするが、この大学の生徒へは、完全に逆効果だった…

ただ、僕はこの瞬間に「さすが! 全然普通の感覚と違う! みんな素敵や!」と思えた。

僕たちには基本的に一人ひとりに国籍というものが与えられている。
それは、あくまで、目が大きい、鼻が高いなどの特徴の一つと同じ。
でも、なぜか、一般的には、外国人という「外の国の人」という枠組みに入る人たちに対して僕たちは、「あなたと私」という「区別を強化」してしまう。

ただ「区別を強化」するだけなら良いけれども、その強化は、国の偏見に繋がったり、ある時は戦争の材料にもなってしまったりもする。

でも、その区別は同時に「違い」を作ってくれて、異文化の体験の機会も与えてくれる。

僕がグローバルなんとかの道に進むにいたった理由の一つが、「違うっておもろいな!」「異文化って学びがたくさんあるな!」「海外って楽しいな!」という経験を中学生の時にしたから。

自分と価値観や世界観が違うって、人によっては最初はもんのすごいストレスになるし、僕自身も当時はいろいろとストレスを感じることもあったけど、学びの方がはるかに多い。

だから、もし、海外とか、そういう話しではなくとも、日本人同士でも違う価値観「ありえへん!」に出会って、人との関係が嫌になることもあったりするかもだけど、「そういうのもあるやなー」と、いい感じにスルーにしながら、違いを楽しんでいきたいな

この記事が、あたなの新しい可能性の一歩につながると嬉しいです^^

Taiwaでした
それではまた🖐️🥰