ペガサス号に残っている残りの4人(ビシャとベンとエビーとタイ)は、地中海の東のシリアの海岸付近(シリアのダマスクスあたり)に午前3時(丑寅の刻)に、北東の方角(丑寅の方角)より着陸――。この地で、ペガサス号より降船した。その後、ペガサス号は北東の方角の空へと消えていった。

ペガサス号はエベレストの山頂を目指して自動運転で飛行し、山頂の着陸予定地点に着くと、7年間そこで停泊することになっていた。

夜が明けてから4人は、この地でまず大きな船を造ることを考えていた。そのためにも、まずはその協力者を募っていくことが必要であった。また、直径3メートル以上の大きな杉(レバノン杉と言われている)を見つけ出し、それを切り倒して船の船体(胴体)に作り上げていく計画であった。この付近には、樹齢千年を超える大きな杉の木が林立していたので、その中から、これっと思う巨木を選定して、切り倒す運びを進めた。

船を造り上げていくための大小の石斧が必要なため、その用意がされ、それとともに船造りの協力者もだんだんと集まってきました。3か月、半年と日が経ち、船体の形が次第に整えられてきた。22人乗りの外洋船として設計されていたもので、人の往来や物資の移動も可能なようにと考えられていた。そして、8か月ほどの月日が流れ、その船は進水式の日を迎えられた。

漕ぎ手18人とともにビシャとエビーとベンとタイの4人はその船に乗り込んで、穏やかな地中海を西へと漕ぎ出した。テスト航海として… キプロス島を横に眺め、クレタ島あたりで引き返し、もと浜辺へと帰着した。

その航海に漕ぎ手として乗船した者たちは、今までにない体験として「わーすばらしい」と感動を口々にしていた。

「こんな航海の体験ができて、私はとても嬉しい! また出来たら乗船して、航海の体験を重ねたい…」と口にしていた。そして、この船(帆船)の船長ビシャからは、

「みんなの協力にとても感謝している。この船は、新たな可能性を生み出していくものと思っている」と、語っていた。

それから数日後、エビーとタイはチグリス川の流域(イラクの中部あたり)へ向かうために、別れることとなった。この移動は午前3時に、北東の方角から現れたペガサス号によって行われた。

つづく